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これは2017年の慶應義塾大学文学部の入試問題です。これを検討してみます。問題文は長いので、一部省略してあります。
京都大学の掛谷誠は、1970年代初頭にタンザニアの焼畑農耕民トングウェ人の生計経済を調査し、彼らの生計維持のしくみを、「最少生計努力」と「食物の平均化」の二つの傾向性を切り口にして論じた。1970年代当時は、いまだ現金経済はあまり浸透しておらず、トングウェ人は焼畑農耕、狩猟、漁撈、蜂蜜採集など自然に大きく依存した生業によって、基本的に自給自足の生活を送っていた。掛谷はトングウェ人の生業を綿密に調査し、彼らが年間の推定消費量ぎりぎりしか主食作物を生産していないことを明らかにする。
掛谷は最少生計努力を、自然とともにのんびりと暮らす生き方としてではなく、社会を生きる上で誰しもが抱くだろう人間の基本的な感情―嫉姑やうらみ―と、それに起因する呪いに光をあてて説明したのだ。掛谷がまず示したことは、トングウェ人は、集落の住民が食べられるだけの食糧しか生産しないにもかかわらず、集落を訪れる客人をもてなすために、生産した食糧の40%近くも分け与えていることである。この客の接待に要した食物量は、自分たちもほかの集落に旅に出かけ、もてなしを受けるため、通常は帳消しになる。しかし客人がいつ何時、何人くらい訪れるかはあらかじめ計算できないし、ふつう計算しないものである。 そのため、生産量と消費量の危うい均衡が崩れ、しばしば食物が欠乏してしまう事態にも陥る。そのような事態に見舞われた集落の人びとは、近隣の貯えのある集落に行き、食物を乞う。そして貯えを分け与えた集落も、あとになって、ほかの集落に食べ物を乞いに行かねばならなくなるという連鎖が生じる。「食物の平均化」とは、このようなしくみで集落間の生産量の不均衡が縮小していく事態を示したものだ。
ところで、この最少生計努力と食物の平均化の二つの傾向性は、超自然的な世界と関係を持っている。「分け与える」に反する行為は、人びとの妬みやうらみの対象となり、ときには分け与えない者に対する呪術を発動 させる。この妬みや呪術に対する「畏れ」ゆえに、人びとは食物を分け与える、と掛谷は指摘した。
もし人びとに気前よく分け与えることが慣例であり、分け与えることを拒否する方途がほとんどなければ、ほかの人びとよりも多くの努力を費やしてたくさんの食物を生産した人間は、少なくとも短期的、経済的意味では損をするだろうと、わたしたちは考える。なぜなら、余剰に生産した食物は自分のものにはならず、自分より働かなかった誰かのものになるからだ。あからさまなフリーライダーを決めこむのは難しくても、合理的経済人ならば、ほかの人びとと同じだけしか働かないだろう。そして村人全員が、ほかの人びとと比べて損をしないよう「いかに努力をしないか」を競っていけば、結果として最小限の努力でギリギリの生計を維持しようとする社会になる。
現在の資本主義経済で企業が生き残っていくためには、最少努力が全面化したワーク環境は不健全だとされるだろう。それは端的に「停滞」に結びつけて語られる。実際にアフリカ農村における「分け与える」をめぐる 規範と呪術を伴う妬みの機能は、その後に「アフリカ的な停滞」と深く関わる人びとの精神世界や行動様式、社会関係を明らかにする研究へとつながっていく。 1980年代にゴラン・ハイデンは、植民地期から社会主義期に至る農村変容を明らかにするなかで、最低限の生存維持を最優先した小農型の生産様式と、血縁や地縁などを基盤とする互酬的な交換に着目し、再分配を通じた相互扶動システムを「情の経済」と名づけた。そして、この情の経済こそが、アフリカ諸国の発展を阻む要因となっていることを論じた。
情の経済論はその後、一部のアフリカ研究者に、分かち合いをめぐる利他的な道徳的競向性として再解釈された。掛谷自身も、その後にアフリカ的な地域発展を模索する研究へと向かい、平準化は、社会全体の発展を「押しとどめる」動きばかりではなく、条件さえ整えば、変わり者が始めた新規の農法を一気に広めるなど、社会全体を「押し上げる」動きともなり、内発的な発展を促進する動力ともなることを論じている。
わたしは正直なところ、上記のような解釈、世界観に魅力を感じることができなかった。掛谷らの世代にとってのオルタナティブな世界と、ずいぶん自然のリズムが異なるが、わたしの世代にとってのそれとの距離感もあったのだろうが、わたしには嫉妬や呪いにより平準化されていく社会は、たとえ共同体のすべての人びとの生存が保障されようと、自然との共存が可能であろうと、時間的ゆとりがあろうと、生きづらい社会に思えた。みなが同じであるよう競争が抑圧される社会は楽しいものに思えなかったし、少なくとも食べ物や富を与える―乞うといった関係は、負い目を伴うなど面倒なものに感じられた。ただ一方で、掛谷が楽しそうに語る、たくましく生きる彼らの社会における嫉妬やうらみは、現代人が考える損得や 「富」に起因するものではないのではないかとも考えていた。
哲学者の内山節は、人間の存在自体が時間的な存在であると述べ、自然や他者との関係的時間が実体的時間に変容する過程のなかに、近代の成立をみる。内山によれば、近代化とは、時間を等速的で不可逆なものとして客体化し、時間が価値の基準となる、時間の合理性が成立する過程である。たとえば、工場や会社での賃労働は、時間によって労働力を売るだけでなく、時間そのものが労働者の売るべきものとなった、すなわち人間が自然や他者との関係のなかで主体的に「多様な時間」を創るのではなく、等速的な時間に人間の行為や関係が管理・ 支配されるようになった世界の産物だ。 余暇も「時計の時間」の一つの使い方に過ぎないから、わたしたちは依然として時間によって動かされている。内山は、こうした時間からの主体性の剥奪こそがわたしたちの生きづらさを生み出しているとし、時間を客観的秩序から関係的存在へと再ぴ戻すことで、ふたたび人間を時間から解放することを説く。
彼がフィールドにしている上野村において時間は、ときに荒々しく、ときに漂うように流れている。村人たちの畑仕事には濃密な時間とまるで惚けたような時間がある。ことには、賃労働を支配するような「時計の時間」ではなく、揺らぎゆく時間が成立しているという。また人びとは、不可逆的な縦軸の時間とともに、一年前と同じ春や秋がふたたび回帰し、去年と同じ春の畑仕事や秋の収穫を繰り返す円環的な横軸の時間を生きている。今年も実りの秋を迎えたという喜びは、村人たちみなのものでもある。自家消費用の畑の作物は、自分が必要としている量の二倍つくるのが農家の自然の憤習で、余った分は知人に配ったり、不作の家があったときはそこへ回したりするのが普通だという。内山はこれを、農民の「アソビ」であると指摘する。だが、みなで実りを分かち合う暮らしの豊かさは、作物が商品として出荷された瞬間に消え去り、数ヵ月かけて育てた作物の対価としてはあまりにも少ない貨幣へと選元されてしまう。だから上野村の人びとは必ずしもすべての作物を商品として出荷しないし、仕事を時間あたりの労働投下で換算しうる「稼ぎ」とは異なるものとしているのだという。
タンザニアの焼畑農村は、四季折々で変化をみせる日本の「里山」とはずいぶん自然のリズムが異なるが、「〇〇さんはお変わりありませんか」という挨拶が、対面する相手自身から始まり、家族、友人、隣人、健康、仕事に至るまで長々と確認されていく世界は、刻々と変化する縦軸の時間よりも、横軸の時間のほうが優先しているようにみえる。少なくとも商品経済が現在より浸透していなかった、1970年代には、時計の時間で農業を営み、時間あたりの労働力の投入量にふさわしい収穫や富を得るといった感覚は希薄だっただろう。
だが、タンザニアの農村のアソビは、上野村の人びとのように「収穫はともに実りの時期を迎えたみなのものだ」「余剰分は不作の農家に回す」を前提に成り立ってはいないようだ。それならば、「最少努力」で臨まずに、上野村の人びとと同じように自家消費量の二倍の作物をつくればいいように思う。むしろアフリカ農村のアソビは、不作の年もあるし、みなが同じように生産できず、食べられない人びとが生まれることを知りつつも、何らかの共同体的な関係を前提としてどれくらい生産するかをあらかじめ計画しない点、すなわち 「どうかなったら、そのときに対処する」という Living for Todayの生き方から出発しているのではないだろうか。そう考えると、嫉妬やうらみによる平準化の圧力は抑圧ではなく、自然や社会との関係的に存在する時間を操る生き方の技法として解釈を展開できる。
つまり彼らは、来てしまった客や、ご飯を食べているのを見られてしまった人を、そのときに食べているものを分け与えることでもてなす、あるいは嫉妬をかわすのであり、それはホスピタリティであり、社会関係をやりくりする技法でもある。分け与えることはあらかじめ予想した出来事 というより、降りかかってきた定めである。そして、そのような偶然や出会いに対処することが、ときには楽しみになっている。来るかどうかわからない客である限りは、余剰を準備したり思い悩んでも仕方がないし、起きてきてしまったことは何とか対処しなくてはならない。さらにその結果、わが身が困った事態におかれても、何らかの用事をひねり出して誰かの家を訪問したり、さりげなく誰かに分けてもらうことができる。
ふだんは「何とかなるはずだ」という信念にみずからの生存を懸け、過度に自然や社会関係を改変せず、未来に思い悩まず「自然」のリズムでまったり暮らしながらも、いざというときは、呪術や超自然的な事象との関係も駆使して切り抜ける。そのように解釈すると、彼らはたゆまぬ時間の流れのなかに緩急を生み出ししながら、なかなかスリリングに生きている、時間をあやつる達人のようにもみえるのだ。
設問U 「分け与える」 ことについて、あなたの考えを320字以上400字以内で述べなさい。
【解説】
ここでは、設問Uについて考えます。「分け与える」ことについて小論文を書くことが課題です。ここで、「分け与える」というのは日常語で、論文で書くべき理論を構築するための言葉ではありません。ですから、「分け与える」とは何だろうか?と考えても、前に進めないでしょう。つまり、書くべき内容が思いつかないでしょう。日常語は論理展開には使いにくい言語です。論文は理論的な概念を使って書くものです。そこで、「分け与える」という日常語を、理論的な概念で言い換えてみましょう。詳しくは授業で説明しますが、「分け与える」に相当する理論的な概念は、「贈与」です。これは単に言い換えただけではありません。「贈与」という概念は理論を作る中で使われるので、それと関連する概念が芋づる式に出てきます。まず、贈与と書けば、その対概念の「交換」をすぐに思いつくでしょう。交換とは通常は等価交換で、贈与は交換ではありません。「贈与」「交換」と置けば、ただちに「贈与」 → 「交換」という変化を思いつくでしょう。それは「近代化」という、人類の歴史における最大の社会変動です。贈与は前近代の共同体社会では、社会秩序の基本形態でした。前近代社会は村落のような地域共同体と、家族や親族のような血縁共同体を基盤とした社会でした。それらの関係を形成するのは市場におけるような等価交換ではなく、贈与です。ドイツの社会学者のテンニエスは、前近代的な社会関係をゲマインシャフト、近代的なそれをゲゼルシャフトと呼びましたが、トングウェは典型的なゲマインシャフトと言えるでしょう。ですから、「分け与えること」が、社会秩序の中心になっているのです。
この贈与は、人が困ったときに行われます。ですから、それはリスクマネジメントの一環です。先に述べた近代化とは、社会学では合理化と考えています。合理化の意味は多様ですが、計算可能性が増大することがその一つです。贈与は、相手が同等の贈与をして返す保証がないので、リスクマネジメントとしては能力が劣ります。そのために、近代化の後は、政府の社会保障によって置き換えられました。近代化とその後の発展で、地域共同体と血縁共同体は弱体化して、政府によるシステムによって代替されたのです。したがって、リスクマネジメントとしての贈与は徐々にその意義を失っていきました。それに対して、別の形の贈与が登場しました。それが社会学でいう親密性です。親密性とは個人の間の感情的な関係で、家族や恋愛、友人関係にみられます。前近代の家族は個人の間の親密な関係ではなく、むしろ企業というべき関係でした。恋愛結婚も、近代化の産物です。こうして、近代化の後で、贈与はリスクマネジメントから親密な関係を維持する行動へと、その意味を変化させたのです。親密な関係において、贈与はリスクマネジメントではなく、関係を作り出し維持する機能を果たします。このような親密性は、前近代の共同体にはなかった、近代化の産物です。イギリスの社会学者ギデンズが、親密性を主題にした本を書いています。解答例は、リスクマネジメントから親密性へ、という贈与の機能の変化を論じました。
このように、理論的な概念は、他の概念を呼び起こすので、論理的な論文を書くのがスムーズになります。というよりは、これが論文の唯一の書き方で、概念を使った論文作成を授業では指導します。
す結論の部分で、問題文の著者の小川さんは、トングウェ人のシステムに好意的な書き方をしています。また、引用はされていませんが、問題文で触れられている京都大学の掛谷さんも、そのようです。しかし、これは注意が必要です。学問は完全に客観的なものではなく、様々な価値観、イデオロギーが関係しています。このトングウェ人の、分け与えることを強制するリスクマネジメントのシステムは、将来についての計算可能性が大変に低いものです。福祉や年金のように将来を計算せず、出たとこ勝負で行くモデルなので、下手をすると野垂れ死にになります。。
【解答例】
「分け与える」とは贈与であり、交換と対をなす概念である。近代化は人類の歴史の中で最大の社会変動であり、前近代社会と近代社会は根本的に異なる原理をもつ。前近代社会はまた伝統社会とも呼ばれ、地縁・血縁の共同体が人々の生活の基盤であり、この固定的な「縁」は、贈与の規則である。それは相互扶助のリスクマネジメントの方法であった。だが近代化は計算可能性の増大でもある。贈与の関係は、リスクマネジメントとしての贈与は、次第に政府による社会福祉制度に置き換えられていった。それと並行して、近代的な贈与の関係が生じ、それは社会学では親密性と呼ばれている。それは恋愛のような、自由な個人の間の感情的な関係であり、その関係の基本は交換ではなく贈与である。こうして、「分け与えること」としての贈与は、前近代におけるリスクマネジメントから、近代における親密な社会関係の基盤へと変化したと言えるだろう。